松戸の晶子歌碑
人気投票で2首を刻む
松戸の千葉大学園芸学部(旧高等園芸学校)の創立百年にちなみ、市民グループ「与謝野晶子の歌碑を建てる1000人の会」が、晶子が松戸を訪れて詠んだ短歌から人気投票で上の二首を選び、昨年11月、学内に聳えるヒマラヤスギのそばに歌碑を建てた。
松戸六十首は、大正14年の「第二十歌集、瑠璃光」などに掲載され、大半が、あの可憐にして哀れな「ひなげし」を詠んでいる。
与謝野寛は、晶子の歌が「電撃的な神速」で成ることを賛嘆していて、その松戸ひなげし六十首も神速の気配に圧倒される。
大正元年に、晶子は寛を追ってパリに行き、こう詠んだ。
ああ皐月仏蘭西の野は日の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
コクリコはひなげしのこと。松戸ひなげし六十首にはコクリコの残影は、まったく見られない。神速・晶子は現在を凝視している。
いと多く紅の扇を地に撒きて華奢に終りぬ雛罌粟の花
ひなげしは、一日花である。