わが家のおひなさま

野田市のおひなさま

オブラートに包むように、記憶の中に大切に生き続けてきた「わが家のおひなさま」。それが日の目を見た。

郷土博物館の呼びかけに応じ40ほどの、「わが家」代表のお内裏様が、晴れ晴れしく飾られている。妍を競うなどという趣はない。優雅にひっそり並ぶ。それぞれに提供者のコメントがつけられていて、それを読み、お内裏様を眺めれば、「わが家」まで垣間見ることができそうだ。

わが家のおひなさま1
「76年前に母の実家からもらいました。ちょうど戦争に重
なって幼少時にはひなまつりをすることもありませんでしたが…」
「昭和51年生まれ、祖父母が送ってくれたそうです。うづらの卵に顔を作り、薄焼きの卵で着物を作った人形を飾り桜餅を食べました。母となった今も続けています」
「35年前に私が作った木目込みのおひなさま。息子二人のわが家でしたので、幼稚園のお友だちを招待。そのうち孫ができました。おひなさまっていいものですね」

内裏様を眺め、コメントをじっくり読んでいる婦人がいた。「ご熱心ですね。わたしも2回目の見学に柏から来たんですが…」と話しかけ、感想を聞こうとしたがやめた。じいさんでは興をそぐ。   
わが家のおひなさま2男女高校生の一群が入場する。一挙に現代語の世界である。高校生の感想を聞くのも結構だろう。でも食指が動かない。

女学生が見ているのは当館蔵の「有職雛(ゆうそくびな)」。江戸時代後期に公家の間で好まれたひな人形

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