目出度さもちう位也おらが春
名月をとってくれろとなく子哉
痩がへるまけるな一茶是に有
我と来て遊べや親のない雀
やれ打つな蝿が手をすり足をする
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
是がまあつひの栖か雪五尺
夕月や流れ残りのきりぎりす
宝暦13年(1763)、信州柏原生まれの俳人小林一茶は、義母と異母弟との折り合いが悪く、15歳で江戸に奉公に出され、困苦と戦いながら俳諧の道に専念した。その一茶を支援してくれたのは房総の俳人たちで、流山、守谷などに足を踏み入れている。とくに、流山のみりん醸造の秋元双樹のもとへは54回も来ており、その2人の交流を記念した一茶双樹記念館ができている。柏の布施弁天も訪れていて、それぞれ句碑がたてられている。
写真左上は、布施弁天近くのあけぼの公園にある句碑、それを詠んだときの俳文も書かれている。句は「米蒔くも罪ぞよ鶏がけあふぞよ」。鶏があとを追ってくるので米1合を買い、それをまいた。鶏がそれを食べているうちに弁天様に行こうとしたのだが、鶏たちはわれがちに争いケンカを始めた。その間、鳩や雀が来てついばむ。鶏たちが戻ってくると、パッと逃げるが、いつまでもケンカしていればいいのにと思っているだろう。人間も同じだな。
写真左上は一茶双樹記念館の隣の光明院にある連句碑。双樹が「豆引きや跡は月夜に託す也」といえば一茶が「けぶらぬ家もうそ寒くして」と応じている。豆の引っこ抜きで疲れたよ、あとはお月さんにお任せしよう、夕餉の支度でけぶっている家もけぶらない家もあるが、秋の夕暮れ、寒いなあ。
写真右下は流山市役所にある句碑。「ゆうぜんとして山を見る蛙哉」
上掲の句は俳文集「おらが春」の冒頭にあり、「ことしの春もあなた任せになんむかへける」といい「目出度さもちう位也おらが春」と詠む。あなた任せとは、南無阿弥陀仏の他力本願である。このとき52歳、歯は抜け、白髪頭ながら28歳の若妻を迎え、生活に満足をみせるが、生まれた子が3人とも死んでしまい、妻までも死ぬという悲運に襲われる。
動物や植物にまで声をかけ、芭蕉、蕪村とはまったく違った庶民性、土着性を詠み込み、親しめるものがある。しかし、義母弟との遺産相続争いには執念深さを発揮したし、奇人ともいわれている。